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将来

知人から杉板を譲り受けた。

板を見ていたら「ショウライ」という言葉が浮かんできた。

若い時のショウライは「将来」で、遥か向こうにあるもの、希望を含んだ未知の時間の後にくる未来というものであった。輝かしい何かを予感させる言葉であった。

しかし最近、私が思い浮かぶショウライはおごそかなものが向こうからやってくる、降り注いでくる、何かもたらされるものというイメージである。漢字で書けば将来だろうが、どうしてもカタカナのショウライのほうが似つかわしく感じる。

時間は残酷だ。与えると同時に奪っていく。歳降ることの哀感。

辞書で将来の「将」を引いてみたら「もと、机上に肉をおいて神に供えることの意」とあった。

                    (2013年 南アルプスミニチュア版画展出品)