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霧中富士

「湖映富士」を刷り終わって間もない頃、何も彫っていない60×90㎝の版木を何枚か並べ見ていた。するとその内の一枚に富士の姿が重なった。霧の中の富士だ。富士にこだわりだした時期なので自ずと見えてきたのかもしれない。

同時に、教師になり立ての若い頃、大先輩から聞いた話を思い出していた。

富士ヶ嶺地区は大変のところだったんだ。水道もなくてね。天水を溜めて使った。ボウフラが湧くとね樽の隅をポンと叩く、叩くとボウフラが沈む、そこを杓ですくって水を飲む。ボウフラも湧く水だから大丈夫だといって子どもも飲んだ。

半世紀前、私が教師になった頃はもうすでにそんなことはなかった。ただ、とても寒いところで霧の発生が多いことで知られていた。この地は標高千メートルに近い。富士山麓の北西部に位置する。北に少し下ると本栖湖で南は静岡県朝霧高原に接する。戦前・戦後の開拓で人が住み始めた。稲作はできない地域で酪農中心の村である。今の富士河口湖町富士ヶ嶺地区である。

新米教師は大先輩の話す地域や生活の様子、子どもたちの話をまるで遠い遠い昔話のように聞いた。

制作の道筋がみえてきたのでスケッチに出かけた。以前何度か訪れているので地理は明るかった。重なる丘陵や点在する家々、放牧の牛や牛舎の乳牛などスケッチして回った。霧の立ち込める日ではなく、スカッと晴れた夏の日を選んだ。

富士は在る。人の営みと共に存在する。悠然と何事もなかったかのようにその顔を覗かせる。

(2014年第2回FEI PRINT AWARD展 オーディエンス賞)