< 画像クリックで全画面表示になります。> 



収 斂

百歳、一世紀にも及ぶ母の人生を色で例えるなら何色であろうかと想像してみた。想像したが一色で表わすことは不可能だと思った。

私が選んだ色は黄色と紫だった。二つの対比した色が相応しいと感じた。黄色と紫が拮抗しながら存在する。そして混じり合う。ただし、黄色と紫も純度の高い色では彼女を表現しない。青みの入った紫や明度と彩度の高いレモン色ではだめだ。古美を帯びた色でふんわりとどこか温かい色でなくてはならない。枯れた色の中にしゃんとしたたたずまいが必要だった。

私の長兄、母にとっては嫡男の同居の跡取り息子が亡くなった。日頃より「逆さは見たくない」と言っていた母もこともあろうに逆さを見た。

それまで折々にしか足を運ばなかった私も足しげく母のところを訪問するようになった。その頃まだ仕事をしていて忙しくもあったのだが時間を割いて訪問した。

ある時母が「そんなにこんで(来なくて)いいだ」「若いもん(者)が年寄りの犠牲になることはねーだ」と言って私を驚かせた。還暦も過ぎた私は若くはなかったが母の気丈夫な言葉に安心した。そして母の気持ちは深沢七郎「楢山節考」の自ら姥捨山志願した老母おりんの心持と共通すると思った。

あれから、十年が過ぎた。母はこの頃私が行くと「おお来てくれとうか」と言う。帰るときは「また、来てくりょう」と言う。そして話すことは8~90年前の高等女学校の話を何度も繰り返す。15、6の娘時代がよっぽど楽しかったらしい。もう一つたびたび登場する話題は母の父と母の兄のことだ。母は母を幼い時なくしている。それで、父親と親代わりだった兄を思い出すらしい。「テレビからブンベエ(父の名前)ブンペイ(兄の名前)の声が聞こえてくる」と言う。

私が知っている母は戦後の激動の時代を遮二無二働いてきた。様々な困難もあったように思うのだが、今の母はいともおおらかだ。

いま、一世紀という時間が収斂するところに私は立ち会っている。

(2015年 第15回やまなし県民文化祭美術展 優秀賞)